不登校の高校生が人口70人の島で、人の温かさに触れる旅をする物語

一人の高校生が面談に来ていた。
彼は、関西でも有数の進学校に通う高校一年生。
勉強ばかりの学校方針に疑問を抱き、学校へ行けなくなった。

週に何回かは、ガンバって学校へいく。
でも、また行けなくなる。

そんな状態のとき、お母さんから連絡をいただき、話しを聞くことになった。

1年後、僕は彼を連れて徳島へ旅に出ることになる。

初めて会ったとき、「この子は、大丈夫だな」と思った。

自分をしっかり持っていて、頭もいい。
必要なものは全て揃っている。

あとは、キッカケとタイミングだけ。

自分がやりたい夢も見つかり、少しずつ殻を破っていった。

人を訪ね、一人で東京へ行ったこともある。

月に何回か面談をおこない、話しを聞く。

しかし、なかなか大きな変化をおこすキッカケを掴めずにいた。

次第に彼は引きこもるようになる。

「いやぁ、外へ出る必要がないんですよね」と、彼は言った。

パソコンがあれば、やりたい作業もできる。
ダラダラ過ごしているわけじゃない。

でも……。

「ただ、家の中にいると少し鬱々となることあるんですよ」

なんとかしたかった。

彼にはチカラがある。
可能性もある。

このまま潰れていくのを黙って見ているわけにはいかない。

なにができる?

なにか出来ないかと考えていたとき、お母さんから「夏休み、家族旅行に行きました。そのときは、とても楽しそうでした」と聞いた。

そのとき、思いついた。

「旅だ!」と。

以前、生徒の一人がひとり旅へ行って劇的に変わったことがあった。

同じようにいくかはわからないけれど、やってみる価値はある。

「旅へ連れて行こう」と決め、どこへ行くかを検討していた。

すると、とあるまちの名前が浮かんできた。

「絶対、今度牟岐へ来てください」

去年、イベントで担当した女子高生が徳島県の牟岐町出身で、「都会で疲れた高校生を牟岐に連れてきて、人の温かさに触れる企画がしたいんです」と言っていた。

「これだっ!」と思い、早速彼女に連絡をとる。

「ぜひっ!」という返事をもらい、旅行プロジェクトをスタートさせた。

まずは、本人を誘うところから。

「徳島行ったことある?」
「いやぁ、ないですね」
「行けへん?」
「え?」

いきなりの誘いに、彼も戸惑っていた。

正直、賭けだと思った。
来るかもしれないし、来ないかも知れない。

来れなかったら仕方がないと割り切り、準備を進めていった。

たまに、「釣りができるらしいよ」「こんなところだよ」と伝え、少しずつ気分を高めるようにした。

高校生が一人だけだと寂しいと思い、教室(TRY部)の生徒も誘った。
スタッフも誘い、楽しい旅行にしようと企画をつくっていく。

常に、「彼は来てくれるだろうか……」という不安はあった。
これだけやって、「やっぱちょっと無理です」と断られたら辛い。

でも、僕ができることは、彼を信じて企画を作ることしかなかった。
 

旅行の3日前。
ドキドキしながら、彼にメールを送る。

「旅行、行ける?」と聞いて、「いや、無理です」と言われると怖いので、遠回しに伝える。

「旅行の計画、バッチリ出来たよ!」と。

すると、「ありがとうございます」と返ってきた。

「もしかすると?」と思い、お母さんに聞いてみる。

「どうやら、本人も行く気になっているみたいです」と、返事がきた。

思わず、強く拳を握りしめた。
「よしっ!」
 

でも、まだ安心できない。
当日、「やっぱり無理でした」となる可能性もある。

ドキドキしながら、旅行当日、駅で彼を待つ。

こんなに緊張したのは、初めてのデートのとき以来かもしれない。

「ギリギリにつきます!」と連絡をもらい、しばらく経って彼がやってきた。

ふぅ。
ほっと胸をなで下ろし、電車に乗る。

初対面だった生徒の高校生とも少しずつ仲良くなっていき、徳島に着いたときにはお互い笑顔で会話をしていた。

僕は、この旅に目的もコンセプトも設定していなかった。

「なにかのキッカケになればいいな」とは思っていたけれど、なにかもこちらでは用意していない。

旅の中でなにかを感じて、なにかを得てくれたらいいなと思っていた。

企画は、徳島の高校生たちがつくってくれた。

彼女たちが、地元の人に頼み、宿泊場所やワークショップなど全て手配をしてくれていた。

大まかなタイムスケジュールだけで、あとは流れに任せるように旅をしようと思っていた。

「体力が持つか心配です」とお母さんの心配をよそに、彼は旅を楽しんだ。

誰よりも体験企画を本気でやり、2泊3日の間に撮った写真は182枚にもなった。

滋賀への帰り道。

感想を聞いてみると、「来て良かったです」と言ってくれた。

彼にとってこの旅にどんな意味があったのかは分からない。
でも、感じたことはあったのだろう。

旅行から帰った翌日。
お母さんからメールをいただいた。

「昨夜、帰宅後、疲れていたにも関わらず、晩ご飯を食べながら、楽しそうにいろんな話をしてくれました。あんなによく喋ってくれたのは久しぶりです」

用意されたツアーだったら、こんな感想はなかったかも知れない。

徳島の高校生や牟岐の人たちが心を込めておもてなしをしてくれ、企画を作ってくれたからこそ、心に響いたのだと僕は思っている。

早速、企画を作ってくれた女子高生に「参加した子のお母さんがメールくれたよ」と、内容を伝える。

すると、「企画とか不安だった部分もあったのですが、そう言っていただき、嬉しくて嬉しくて泣きそうです」と返事がきた。

地元の高校生は、今までやったことがない染め物ワークショップを企画し、島も案内してくれた。

あとでみんなに感想を聞いて、「一番楽しかった」と言ったのは、滋賀と徳島の高校生たちみんなで一緒に取り組んだカレーづくり。

みんなで作りあげた企画だったからこそ、参加したそれぞれの高校生の心に残るものになったのだ。

牟岐町は、人口が4,280人。
2日目に泊まった出羽島にいたっては、人口は70人。
住んでいる子どもは、1人。

高校生のみんなは、まちや島の人たちの優しさにたくさん触れた。

朝ご飯どうしようかと話していると、「お弁当作ってきてあげる」と言って、わざわざ船で届けてくれた。

ご飯を食べ終わると、「もち焼いてあげるね」と言って、もちをいただく。

僕が島を歩いていると、農作業中のおばあちゃんがいたので、挨拶をすると「すだちいっぱい取れたからあげよう」と、10個以上のすだちをもらった。

「みんな挨拶してくれる」と、滋賀の高校生は驚き、「こんなまちに住んでいたら、コミュ障とか絶対にならないね」と言っていた。

ずっと昔からの知り合いみたいに、人々が接してくれた。

この旅行での感想を聞いてみると、高校生はみんな「人が温かかった」と言った。

たくさんの人が僕たちを歓迎してくれた。

旅行中、市役所の職員さんが島を案内してくれ、ボランティアのおじいちゃんは僕たちに行灯づくりを教えてくれた。

人の優しさに触れた2泊3日の旅だった。

一緒に行った高校生が、この旅でなにを学んだか。なにを得たかは分からない。

でも、間違いなく記憶に残る旅になっただろう。


 

旅はたくさんのことを教えてくれる。

普段、いつもと同じように生活をしていると見えないものが見えてくる。

たくさんのことを感じられる。

旅は、学びが溢れている最高の教科書だと僕は信じている。

寺山修司は、”書を捨てよ まちに出よう”と言った。

だから、僕も子どもたちに伝えていきたい。

“ゲームを捨てよ まちに出よう”

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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